「ブッダのことば スッタニパータ 訳:中村元」 スッタニパータ 第一 蛇の章/三 犀の角
- 交わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起る。愛情から禍いの生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。
- 朋友、親友に憐れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。
・・・- 仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、常にひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。
・・・- もしも汝が、賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者を得たならば、あらゆる危機にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め。
ここでの「交わり」とは、異性の交際というわけではなく、ただ話したり仲良くすることを指すようです。ゴータマさんの言う友とは、現代での友達と言うより一緒に修行する仲間と言ったイメージです。今の世の中だと仕事仲間とか学友とかを指すのでしょうか。
自分の目的のために建設的に協力できるような仲間がいれば、シナジーを生むので共に歩みなさい。
そういう人を見つけられないのであれば、別にわざわざ仲良くしなくてもいいよ、一人で歩みなさい。
という感じなのではないかと思いました。
参考までにもうひとつ引用します。
「ブッダのことば スッタニパータ 訳:中村元」 スッタニパータ 第二 小なる章/三 恥
- 恥じることを忘れ、また嫌って、「われは(汝の)友である」と言いながら、しかも為しうる仕事を引き受けない人、---かれを「この人は(わが)友に非ず」と知るべきである。
- 諸々の友人に対して、実行がともなわないのに、ことばだけ気に入ることを言う人は、「言うだけで実行しない人」であると、賢者たちは知りぬいている。
- つねに注意して友誼の破れることを懸念して(甘いことを言い)、ただ友の欠点のみ見る人は友ではない。子が母の胸にたよるように、その人にたよっても、他人のためにその間を割かれることのない人こそ、友である。
そしてもうひとつ
「ブッダのことば スッタニパータ 訳:中村元」 スッタニパータ 第二 小なる章/十三 正しい遍歴
- 信念あり、学識ある賢者が、究極の境地に至る定まった道を見、諸々の仲間の間にありながら仲間に盲従せず、貪欲と嫌悪と憤怒を慎むならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。
ゴータマさんの言う友は、現代で言う友達とは意味合いが違うので、現代で色んな趣味などを一緒に楽しむような友達のことは触れられていません。と言うよりもゴータマさんは全ての世俗的な執着を捨てましょうというスタンスなので、はじめからそういった友達の類は眼中に無いのだと思います。なので今の世の中にどこまで当てはめることができるかは微妙な気もします。しかしそれをさて置いても、結構いいこと言っているよなあという気持ちになります。