「ブッダのことば スッタニパータ 訳:中村元」 スッタニパータ 第四 八つの詩句の章/十二 並ぶ応答-小篇
- (世の学者たちは)めいめいの見解に固執して、互いに異なった執見をいだいて争い、(みずから真理への)熟達者であると称して、さまざまに論ずる。--「このように知る人は真理を知っている。これを非難する人はまだ不完全である」と。
・・・- ここ(わが説)にのみ清浄があると説き、他の諸々の教えには清浄がないと言う。このように一般の諸々の異説の徒はさまざまに執著し、かの自分の道を堅くたもって論ずる。
- 自分の道を堅くたもって論じているが、ここに他の何びとを愚者であると見ることができようぞ。他(の説)を、「愚かである」、「不浄の教えである」、と説くならば、かれはみずから確執をもたらすであろう。
- 一方的に決定した立場に立ってみずから考え量りつつ、さらにかれは世の中で論争をなすに至る。一切の(哲学的)断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起すことがない。
物事に対する良し悪しは相対的なものであり、自分の考え方が唯一最高と言うわけではない。そこにこだわることはトラブルの元である。といったようなことではないかと私は受け取りました。
私はITエンジニアなので、自分の身近なITの世界に置き換えて考えてしまいますが、ゴータマさんの言う「めいめいの見解」を「システム開発の方法論や、個々の開発技術」に置き換えて想像してみると、IT業界の現状の問題をそのままゴータマさんが指摘してくれているような気がしました。
- これらの偏見を固執して、「これのみが真理である」と宣説する人々、--かれらはすべて他人からの非難を招く。また、それについて(一部の人々から)称讃を博するだけである。
- (たとい称讃を得たとしても)それは僅かなものであって、平安を得ることはできない。論争の結果は(称讃と非難との)二つだけである、とわたくしは説く。この道理を見ても、汝らは、無論争の極地を安穏であると観じて、論争をしてはならない。
「ブッダのことば スッタニパータ 訳:中村元」
スッタニパータ 第四 八つの詩句の章/十三 並ぶ応答-長篇
ITのシステム開発の世界は、少なくとも現在のところはあまり快適なところとは言えないような気がします。それはシステム開発の大部分がQ(品質)C(コスト)D(納期)のいずれかで目標を達成できないことが多いからです。私はそんなに頑張って働いていない部類のITエンジニアですが、世間のITエンジニアには自分の生活を犠牲にして遅くまで残業されていたり、休日に出勤して挽回されている人が少なくありません。
このような開発現場を少しでもよくしようと、ITの世界には新旧問わず様々な方法論や開発技術が提唱されています。しかしこういった方法論や開発技術は、ともすればそれらのトピックのみが大々的に取り上げられ、一人歩きしてしまうことが多いように思います。このような手段先行型の姿勢や、これらの主張によるセグメント分けと言ったようなものが、かえって現場に混乱を招き、不幸にしているのではないかという気がしてなりません。あくまでも道具のひとつに過ぎないと考えたほうがいいと思っています。どんな状況でも常に効果を発揮する道具は存在しませんよね。私はシステム開発で失敗しないためには、ドロドロとした俗世の問題を解決することにつきると思っているのでそこに注力したいです。これらを解決するために役に立つ道具は使う、役に立たないのであれば今回はおいときゃいいじゃん。と思います。
ゴータマさんは、「人が生まれたときには、実に口の中には斧が生じている。」とも言っています。もちろん建設的な議論はすごくいいと思いますが、これ最高、他は駄目みたいな言い合いは飽き飽きします。揚げ足を取ろうと思えばいくらでも出来ますからね。同じ目的のためには協力し合おうよ、と思います。
最後にもうひとつ。いいこと言うなあ。と思います。
「ブッダのことば スッタニパータ 訳:中村元」 スッタニパータ 第四 八つの詩句の章/九 マーガンディヤ
- 『等しい』とか『すぐれている』とか、あるいは『劣っている』とか考える人、--かれはその思いによって論争するであろう。しかしそれらの三種に関して動揺しない人、--かれには『等しい』とか『すぐれている』とか、(あるいは『劣っている』とか)いう思いは存在しない。